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メアリー1世 (イングランド王) : ミニ英和和英辞書
メアリー1世 (イングランド王)[おう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 

メアリー1世 (イングランド王) ( リダイレクト:メアリー1世 (イングランド女王) ) : ウィキペディア日本語版
メアリー1世 (イングランド女王)[めありー1せい]

メアリー1世(, 1516年2月18日 - 1558年11月17日)は、イングランドアイルランドの女王(在位:1553年7月19日 - 1558年11月17日)。ヘンリー8世と最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴンカスティーリャ女王イサベル1世アラゴンフェルナンド2世の娘)との娘として、グリニッジ宮殿で生まれた。イングランド国教会に連なるプロテスタントに対する過酷な迫害から、ブラッディ・メアリー(血まみれのメアリー)と呼ばれた〔血を思わせるトマトジュースとウォッカを混ぜたカクテルの「ブラッディ・マリー」の名はこのメアリー1世の異名に由来する。〕。
== 生涯 ==

=== 不安定な身分 ===
王妃キャサリン・オブ・アラゴンは5度の懐妊に失敗していたが、6度目の懐妊でメアリーを出産した。メアリーの名は、叔母メアリー王女ヘンリー7世の末子)にちなんだものだった。
当初は男児誕生を願っていたヘンリー8世も、娘が健康であると知ると「イングランドでは女子の王位継承を妨げる法はない」として跡継ぎと見なし、鍾愛した。
1519年、ヘンリー8世は庶子ヘンリー・フィッツロイが生まれると、この男児を直ちにリッチモンド公爵に叙している。ヘンリー8世の父ヘンリー7世が即位前にリッチモンド伯爵だったことからもわかるように、この叙爵は庶子に対するものとしては破格のもので、この子が正嫡でないことへの無念さがそこには見て取れる。一方メアリーに対してはプリンス・オブ・ウェールズに相当する王女として「プリンセス・オブ・ウェールズ」の称号が用いられたものの、そこに世継ぎとしての法的な根拠は付与されなかった。
メアリーが9歳になる頃にはキャサリンとの間にもうこれ以上の子はできないことが明らかな情勢となっていた。男子を切望するヘンリー8世は寵愛するアン・ブーリンと再婚するためにキャサリンとの婚姻無効を宣言、これとともにメアリーからは世継ぎの地位ばかりか王女の身位までが剥奪されて庶子とされた。ヘンリー8世はメアリーに「両親の結婚は間違いだった」と認めさせようとしたが拒否されている。
やがてアン王妃が第2王女エリザベスを産むと、アンはメアリーに対してエリザベスへの臣従を強要したが、メアリーはエリザベスを「妹としては認めるが、王女としては認めない」と突っぱねた。怒ったアンはメアリーを強引にエリザベスの侍女におとしめた。この後アンが王妃の間を通じてヘンリー8世はメアリーとの面会は拒絶している。アンはかつての愛人だったノーサンバーランド伯爵ヘンリー・パーシーに対して、メアリーを殺すつもりだと話していたことが知られている。またアンの裁判では複数の者がメアリーの毒殺未遂があったことを証言している。いずれにしても、メアリーがヘンリー8世と再会したのはアンが処刑されてジェーン・シーモアが3番目の王妃になってからのことだった。しかしそのジェーン王妃がヘンリー8世待望の王子エドワードを生んだことで、メアリーはエリザベスと共に庶子として扱われ続けた。
ヘンリー8世が晩年に6番目の王妃としたキャサリン・パーは家族の絆を大切にすることに心を砕き、まだ幼少のエドワードとエリザベスを自らのもとで養育するとともに、成人していたメアリーも宮廷に呼び戻してさまざまな公務を行わせた。こうした努力が実って、健康を害して近い将来の死を悟ったヘンリー8世は、エドワードがまだ幼くひ弱な体質であることを危惧して、1546年に王位継承法を改正しメアリーとエリザベスにエドワードに次ぐ王位継承権を与えた。果してヘンリー8世はその翌年に死去し、まだ9歳のエドワード6世が即位した。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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